NieR:Automata
エンドC・Dを見終えた後、エンドEにつながるエンディングで次の問いが投げかけられた。
「コノ 世界ニ 意味ハ 無イト 認メマスカ?」
何千年も前に地球上から人類が消滅し、アンドロイドと機械生命体が終わりのない戦争を続ける世界。一見すると、あまりに非現実的で我々の生活とはかけ離れた空想の世界だと感じる。
あまりに意味のない、不毛な、当事者たちの意図すら消えて、まさにオートマトンのように戦争を繰り返すだけの世界。しかしこの問いを見たとき、今我々が生きるこの世界と、彼女達が生きた世界、その意味は何一つ変わらないんだなー、と何となく頭の中で思いながら「いいえ」を選んだ。
深い意味はない演出上の選択肢だと思うが、どこか妙に惹かれてしまった。
どうしてこのように思ったのか、自分自身が納得するためこの漠然とした問いの結論を出そうと思う。
(以下、ニーアオートマタ Eエンドのネタバレを含みます)
問「コノ 世界ニ 意味ハ 無イト 思イマスカ?」
この問いかけは操作キャラクターであるポッドに向けられたものだと思うが、今回はプレイヤーとして考えてみたいと思う。
どれだけ不毛で虚無な世界でも、自我というレンズを通して見る「世界の意味」は同じなのだと思う。この問いを見たときに私はそう思った。この世界に意味があるか、という問いに答えるには「意味」の意味するところを明らかにする必要がある。
「世界の意味」、これは世界に生きる者にしか答えられない。言い換えると、その世界で自我を以って生命活動を続けることを選択し続けたことがある者にしか答えられない。つまるところ、自我を持つ者がこの選択を続ける限り「世界の意味」は存在している。このように「世界の意味」を定義すると、自我の数だけ「世界の意味」が存在することになる。そして、このゲームをプレイしているプレイヤー自身の持つ(現実世界に生きる者の)自我では、彼らの世界の、「世界の意味」があるかどうかを断じることはできない。
しかし、これはRPGだ。ロールプレイングゲームだ。ゲームをエンディング到達までプレイした我々の内側には、「この世界」で生きる自我が確かに存在していると言えるだろう。そういった意味では、プレイヤーとして関わった自我を持つ人物のいずれかが「世界の意味」を持ち合わせているかを推測することによって、問いに対する答えを『この世界の当事者として』回答できると考える。このゲームの各登場人物それぞれの思う「世界の意味」を推測するのは難しいかもしれない。だが、エンディングにおける操作キャラクターに限定すれば別である。
ポッド042は最後に自我を持ち、パーソナルデータのサルベージを選択した。彼らの生存を望んだ。この個体が「世界の意味」をあると思っているか、無いと思っているか。生を維持しようとしているか否かは、この世界に生きるプレイヤーの自我によって十分に推測可能である。
自我のある者が1人でも生きている世界、という一点で「この世界に意味はあると思う」。
以上をこの問いに対する結論とする。
ちなみにポッドの声に感情が出てきたところで泣きました。
ニーアオートマタ発売2周年おめでとうございます!!