布団の中で考える「自分の証明について」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
日々

 「今の自分は本当に昨日の自分と同じなのだろうか」――
 これは自己同一性の問題として哲学や心理学で目にすることもある題材ですが、考えても考えてもよく分からない問題でもあると思います。
 自分が自分であるなんて当たり前のことを考えたことがなかった私は、初めてこの問題を目にしたときはとても面白いと感じたように記憶しています。普段考えないこと、自分では思いもしなかったことを考えるのが大好きです。

 さて、今回たまたま昼寝の夢で「今の自分が昨日と同じく自分であることを、記憶なくして示せるか」ということを考える機会があったので文章にしてみました。
 こういった思考実験をするときには、本来なら他者の意見を織り交ぜて反証や新しいアイデアを生み出すことが望ましいのですが、書いているのが昼寝から目覚めた毛布の中なのでとりあえずひとりで考えることにしました。
 これは哲学でも心理学でもなく、ただの思考遊びなので取り留めもありませんが、読んでみると何か面白いことを思いつくかもしれません。



 まずは今回の命題を明確にしましょう。

「今の自分が昨日と同じ自分であることを、自分自身の記憶を使わず示すことができるか」

 何故夢でこんなことを考えていたのかちょっと思い出せませんが、この命題には曖昧な点があります。今の自分と昨日の自分の定義と、記憶の定義です。


・今の自分と昨日の自分を隔てる要因は何か
 「昨日の自分」とわざわざ言っているので、おそらく「今」とは今日であり、そして昨日と今日を隔てるのは物理量的な時間ではなく、「睡眠」を経験したか否かであると考えます。整理すると「昨日」と「今日」の違いは何か、ということになりますが、0:00に日付が変わったとして、私は昨日が今日に変わったと気づかないと思います。
 ではどうすれば「昨日」から「今日」へ移り変わったことに気づくことができるか。夜に眠って、目覚めたときに朝になっていたら間違いなく「今日」になったんだなぁ、と思うことでしょう。でも昼寝をしたときには「昨日」から「今日」に移ったとは思わないので、昼寝を考えると少し問題が複雑になってきます。ただ、問題の意味を加味すると、目が覚めている間に自分が自分でなくなることは無いような気がする(要検討)ので、意識が途切れる「睡眠」が昨日と今日の自分を隔てる要因だと考えました。
 今回は命題の「昨日の自分」と「今の自分」を、単純に「睡眠前」と「睡眠後」に置き換えて考えることにしましょう。ここでは昨日と今日の境目を「睡眠」とします。


・記憶とは何か
 これは些か難しすぎる問題なので、今回の命題で扱う記憶の範囲を定めたいと思います。
 「自分自身の記憶なくして」という条件設定なので、記憶の所有者は命題における”自分自身”です。例えば、”自分自身”さんと第三者さんが存在する世界を考えたとき、第三者は自分の記憶もあるし”自分自身”さんの記憶も持っていますが、”自分自身”さんは自分の記憶を持っていない状況を想定します。この状況、つまり”自分自身”の記憶を使わずに、”自分自身”が以前と変わらず自分自身であると示すことができるか、ということを考えていきます。


 曖昧な点をとりあえず仮定できたところで、本題に入ります。

「今の自分が昨日と同じ自分であることを、自分自身の記憶を使わず示すことができるか」
 あなたは自分を示すことができますか?

 自分の自分たる要素は何か、ということを考えたときに記憶以外に何が該当するでしょうか。個人によって違いがあり、かつ記憶がなくてもその個体に存在できるものを考えると、外見、思考、身体が伴う反応があるかなと思いました。まだまだ他にもあると思いますがここでは思いつきませんでした。


 外見は最も個人たらしめる情報のように思えましたが、一方で最も改ざんしやすい、他者によって成りすまし可能な情報です。人間の感覚的な特定はできなくとも、指紋やDNAレベルであれば特定できるかもしれません。

 身体が伴う反応、というのは例えば猫舌であるとか、寝覚めが良い悪いとか、ジャンプ力が優れているとか、そういったことを想定しました。これは複数の身体情報を組み合わせることで個人を特定できるかもしれませんが、イマイチ決定打に欠ける気がします。少なくとも私自身で考えたときに、そこまで秀でた身体的特徴がある訳ではなかったので特定は難しいように感じました。

 それでは思考はどうでしょうか。
 趣味嗜好、好き嫌い、どこまでが記憶に依存しているか布団の中にいる私にはわかりませんが、少なくとも考え方は記憶に依存しないように思えます。ある問題を解くときにどういったアプローチで解いていくか、というのは個人を識別するに十分な差異があると考えています。例えば、ある複雑な問題を解く手順を書いた紙が目の前にあって、そのアプローチに違和感がなく、自分と同じ考え方だったとしたら。もしその紙を自分で書いた記憶がなくとも、もしかしたら自分が書いたんじゃないかなぁと思ってしまうと私は思いました。おそらく、その考え方に心地よさを感じるはずです。



 ここで重要なのは、どれが正しいかではなく、あなたならどの情報を使えば自分自身を自分と認めることができるか、という点だと思います。自分自身を示す根拠として何が思い浮かんだか、何が重要な要素であると思ったか、そこからその人が何を大切にしているか(何に依存しているか)が垣間見えてきます。私自身、普段はそんなことを考えたことがなかったので、折角だから自分にとって大切なものは何だろうとちょっと気になって色々模索してみました。

 自己同一性について、私は”自分自身”という存在を時間の経過とともに常に更新しながら生きていると思っています。そのため、過去のどの点においても同一の自分は存在していないと考えています。それでも、”自分自身”が時間軸的に連続して存在していることを確信しているため、自分は自分であると思うことができます。一瞬前の自分と今の自分は常につながっているから、遡って過去の自分は自分である、と。

 しかし、睡眠中は意識が途切れ、一瞬自分自身を見失います。
「昨日の自分」と「今日の自分」の間で、自分自身の持つ記憶を無くしたとしたら。自分は自分でいられるのだろうかと思いました。さきほど昼寝から目覚めたとき、ちょっと怖くなったんですね。それで上のようなことを考えてみたわけですが、結果として自分自身を証明するに値する思考があると信じることができました。根拠は限りなく希薄ですが、珍しく自分を信じられる安心感を得ることができたので、気持ちよく二度寝に入って今(18:00)に至りました。
おはようございます。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す


CAPTCHA